恩藏直人氏インタビュー『マーケティング4.0』の先にあるもの

インタビュー

『コトラーのマーケティング4.0 スマートフォン時代の究極法則』の監訳者である早稲田大学商学学術院長の恩藏直人氏は、日本のマーケティング研究の代表的な研究者です。『マーケティング4.0』が出版されてから2年の月日が経った今、教授はなにを考え、マーケティングはどこに進んでいるのか、お話を伺いました。
※本記事は2020年1月に行ったインタビューです

SNS時代の消費者を捉えた5Aフレームワーク

『マーケティング4.0』を考えるにあたり、まずは『コトラーのマーケティング3.0 ソーシャル・メディア時代の新法則』を振り返ってみましょう。2010年に発表された『マーケティング3.0』は、「消費者をマインドとハートと精神を持つ全人的な存在として捉える」「企業が果たすべき社会的な役割の重要性を説く」といった点で大きなインパクトがありました。ところが私は、少し違和感を抱いていました。「ソーシャルメディア時代の新法則」と副題に掲げるからには、「ソーシャルメディアが浸透した時代にマーケッターはなにに目を向けてなにに留意すべきなのか」というデジタルの観点がもっと欲しいと感じていたからです。

それから数年を経て発表された「スマートフォン時代の究極法則」と題されている『マーケティング4.0』は、私が抱いた違和感を十分に解消してくれるものでした。『マーケティング4.0』では、多数の人々がスマートフォンを所有している現代のカスタマージャーニーが、5A(認知→訴求→調査→行動→推奨)という非常によくできたモデルを用いてまとめられています。

5A-4

5Aの一番の特長は、ファネル(漏斗型)なモデルではないということです。AIDA(注目→興味→欲求→行動)に代表される従来型のモデルでは、段階が進むにつれて消費者の数が絞りこまれて少なくなる、というのが大前提でした。しかしSNSが浸透した現在は、コミュニティや口コミの影響を受けて、「調査した人よりも多くの人が行動する」あるいは「認知した人が、実際に購入していなくても“いいね”と推奨する」のです。5Aのカスタマージャーニーに対して途中から入ったり、段階を飛ばしたりすることもあります。こうした、SNS時代の消費者がみせる従来の一方通行のファネルに収まらない動きを、うまく表しているのが5Aの優れた点だと思います。

ビジネス変革と価値創造の類型化を期待

5Aは、完成度の高いモデルです。消費者の行動パターンをうまく盛り込みながら説明されていますから、多くのみなさんがモデルとしての妥当性を感じているはずです。ただし、5Aが完璧かというとそうではありません。5Aを活用するときには、デジタルメディアを中心にしたカスタマージャーニーがすべてではないことを頭の隅に置いておかなくてはなりません。私の姉は、スマートフォンを所有してはいますが、それを使いこなし、積極的にSNSを利用したり、ネットで買物をしたりするわけではありません。その一方で7080歳代でもデジタルのリテラシーの高い人たちもいます。多様な消費者がいるということを、常に念頭に置かなくてはいけないのです。

また『マーケティング4.0』の内容にも、抜けている部分があります。内容が、あまりにもコミュニケーションに関連する課題に偏っているのです。SNS時代の消費者とのコミュニケーションやそのカスタマージャーニーの捉え方については、『マーケティング4.0』を超えるものが出てきていません。しかし、思い起こしてください。マーケティングとは、「顧客価値を創造し、それを消費者に伝達して、説得すること」なのです。ですから、『マーケティング4.0』において、顧客価値の創造についてほとんど触れていないのは大変残念です。

今、世の中を見回すと、Uber(ウーバー)やAirbnb(エアビーアンドビー)など、デジタル技術の活用によって既存のビジネスを変革し、新しい顧客価値を創造している事例がよく見られます。ですから『マーケティング4.0』の次には、デジタル技術によるビジネス変革、価値創造の類型化などを期待したいと考えています。それが示されたなら、斜陽産業の再生や伝統産業の活性化に挑戦する人たちの大きな助けとなるでしょう。

5Aを活用するならば、忘れてはならないこと

5Aを活用する際に、注意すべきポイントがいくつかあります。そのうちの一つがデジタルに偏りすぎるリスクです。私は、日本郵便株式会社や富士フイルム株式会社と産学連携でデジタル(=Eメール)とアナログ(=紙のDM)の組み合わせ施策に関する実証実験を4年かけて行いました。その結果、デジタル施策だけでなくアナログ施策を組み合わせたほうが、クーポンの使用率があがることがわかりました。

他にも「アナログ→デジタルの順に施策を実施したほうが効果が高い」「デジタルネイティブ世代の30代以下は、紙から先にもらった方が嬉しい」「ロイヤルティの高い上位顧客にデジタルのアプローチを繰り返すと“私は特別な存在であるはずなのに…”というネガティブな印象を与えかねない」等、いろいろな消費者心理に関する気づきがありました。

リアル店舗で生まれる新しいカスタマージャーニー

『マーケティング4.0』について述べてきましたが、最後に『リテールマーケティング4.0』(近刊、朝日新聞出版)の話をしましょう。リアルな店舗にも、デジタル技術がものすごい勢いで入り、リテールは劇的に進化しようとしています。

その最たるものが、カメラ、センサー、AIなどを駆使して利用者の利便性を高めたAmazon Go(アマゾンゴー)です。よく無人コンビニといわれますが、人間がいないかというとそうではなく、利用者から見えるようになっているオープンキッチンでは、人間が調理をしていて、フレッシュなサンドイッチを提供しています。Amazon Goのように、デジタルで武装できるところは全武装して、なおかつヒューマンリアルな良さを生かしていくというリテールの姿が、幅広い業種に広がっていくのではないでしょうか。

また実店舗では、五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)への刺激で、“無意識”のうちに消費者の行動に影響を与えるセンサリーマーケティングも進展していくでしょう。「嗅覚や聴覚に訴える販促手法は、以前からあったのでは?」と思われそうですが、パン屋やうなぎ屋が、商品の香りを漂わせて来店を促すという施策は、香りで人間の記憶を刺激し商品を想起させているもので、“無意識”に働きかけるセンサリーマーケティングとは違います。

たとえば「固い椅子よりも柔らかい椅子に座らせたほうが、相手からのアグリーが得やすくなる」「ワインショップのBGMにクラシック音楽を流すと高級ワインが売れる」といった手法で、販売している商品そのものとは関係のない五感への刺激で、顧客行動に影響を与えようというのがセンサリーマーケティングです。デジタル領域の施策でカバーできない「感覚」「人間らしさ」といった視点を補う手法のひとつとして、カスタマージャーニーを考える時にますます重要になるのではないかと思います。

無意識へのアプローチは、従来のマーケティング活動では注目されていませんでした。企業の競争力はあくまでも製品やサービスのクオリティであり、クオリティの低い企業はすぐに淘汰されていたからです。しかし今やその差は極めて小さくなっており、いわゆるコモディティ化が起きています。したがってビジネスの世界では、無意識の領域にまで入り込んでわずかな差を競う戦いが行われるのです。わずかな差を競争力としていくために、5Aをベースに、デジタル・アナログ、消費者の意識・無意識など、あらゆる側面から自社の製品・サービスに適したカスタマージャーニーを探っていただきたいと思います。


恩藏直人氏
早稲田大学商学学術院長
日本のマーケティング研究者(ブランド戦略、製品戦略、市場参入戦略、セールスプロモーション)。 早稲田大学商学学術院長、商学部長、公認会計士試験委員(2008年度-2009年度)などを歴任。 現職は、早稲田大学商学学術院教授、早稲田大学常任理事。

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